SHOCK-ONの運営会社である
㈱コスミー・プレゼンツ専務取締役、全店統括マネージャー。
壮絶な過去を持つ。
自称「ハード・ボイリスト」
本名ラック・パーカー
厳密に言えばこれも本名ではない。
ラック・パーカーは、オクラホマのグループホーム(孤児院)の前で捨てられていたところを、グループ・ホームの運営者でもある神父に助けられグループホームで育つ。
5歳まで過ごし、6歳の誕生日の朝、シスターに呼ばれパーカー夫妻と初めて会う。
夫妻に気に入られた彼は、夫妻の養子として迎えられる。
そして夫妻が住むノースカロライナでラック・パーカーとして過ごす事になる。
しばらく幸せな日々を過ごすが
それも長くは続かず
11歳の時、父ジョゼフ・パーカーは現場の事故に巻き込まれ帰らぬ人となった。
母の悲しみは想像を絶するもので
気を弱くした母は、程なく病に倒れその二年後他界してしまう。
残された小さな家は、母の医療費の担保にしていた為に
わずかばかりの現金を残して全て人手に渡ってしまう。
まだ13歳の少年だった彼にはどうすることもできず
オクラホマのグループホームへ戻る事となる。
オクラホマ州では当時シニアハイスクールを
卒業する事が義務付けられていた為
18歳までハイスクールに通いながら自分だけの力で
生きていけるその日を待つ日々が続く。
そして卒業の日を迎えたある日。
シスターに呼ばれある事実を知る事になる。
シスターから、神父様(すでに他界)に託されたというある手帳を手渡される。
孤児院に捨てられていた時に一緒に置いてあったものらしい。
その手帳には、見慣れない文字が並んでいた。
シスターは、チェロキー語だと彼に説明し
そしてその隣には日本語の文字が並んでいた。
シスター曰く、おそらくこれは簡単なチェロキー語を日本語に訳したものだろうとの事だった。
確かに本人が、その後調べたところ日本語の《こんにちわ》や《おはよう》をチェロキー語に訳したものだった。
そして、本当の親はその手帳を置いていったのではなく
落としていったんじゃないかとの事だった。
確かに,そうでなければ
何の手がかりにもならないそんな手帳を置いていく意味がない。
それでもその手帳からいくつかの手がかりになることがわかった。
ラック・パーカーの髪、顔、体格は当時からネイティブなアメリカンとは言い難かった。
東洋人の血が混ざっている事は明白だった。
そして手帳の筆跡は明らかに男のものだった。
そしてチェロキー語を日本語に訳している事から父親はチェロキー族に属するもの…
そして母親は日本人ではないかと容易に想像できた。
チェロキー族はアメリカの先住民族で今では純粋なチェロキーはほとんどいない。
90%以上は多民族との混血なので、ようするに先祖はインディアンだと事である。
インディアンの血をひく者と日本人の血をひく者の混血
それがラック・パーカー(佐々木 誠)である。
手帳にもう一つ書き記してある事があった。
カクテルのレシピやお酒についてである。
父親はバーテンダーの見習かなんかだったのかもしれないと推測し
そしてこのカクテルが母親が好きなカクテルだったのかもしれないと
考えたラック・パーカーは、このカクテルを作り続けていれば
いつか母親に巡り合えるかもしれないと考えるようになり
バーテンダーを志す。
ラック・パーカーは、ミスター・ブラックと呼ばれていた時期がある。
18でハイスクールを卒業した後2年間、
日本語の勉強と日本へ来る為の準備金を稼ぐために必死に働らき
20歳の時来日を果たす。
しかし、待ち受けていたのは必ずしも好意的な人達ばかりじゃなかった。
当時は、片言の日本語しか話せなかったので、彼に働けるバーは、少なく
顔は限りなく日本人なのに言葉が不自由な彼を人々は、好奇の眼差しで見つめていた。
彼は、そんな全ての事に絶望感すらいだいていた。
やっとの思いでみつけた店でも長くは続かなかった。
失敗ばかりする彼を人々はBAD LUCKと呼び避けるようになった。
名前がラックだったので、そんな風に陰口をたたかれていた。
元々ミスター・ブラックは「Mr.BAD-LUCK」からきていた。
そんな彼も、今後の人生を大きく変える人物と運命的な出会いを果たす。
この頃に働いていたバーの常連客であった
国武氏(現㈱コスミープレゼンツ代表取締役)である。
よく従業員や常連客になじられている彼を見て
国武氏は、「ブラックという呼び名は決して不運なんかじゃない
…BLOSSOMS OF LUCK…運の花だ、運の花を持ったお前は
自分の生き方次第でどんな風にも咲かせることができる」
と言ってよく元気付けていた。
この頃から国武氏は、彼のどこに興味が湧いたのか、いろいろと世話を焼くようになる。
ビザが切れかかっていた彼を自分の知人の養子として迎えさせ、日本での永住権を得る為の手助けをする。
その国武氏の知人が佐々木という人物でラック・パーカーは、その日から佐々木誠として新たな人生を踏み出す事となった。
それから12年後
佐々木 誠は、国武氏の恩に報いる為にも
国武氏と共に会社を立ち上げる事となる。
それが、Shock-onの運営会社㈱コスミー・プレゼンツである。
※この物語はフィクションです。最後まで読んで頂いた方すみません。